5月5日 「個」と「公」とはなんじゃらほいの巻 小林よしのり氏の「個と公」論を読みました さいきん大学生の間では大人気の彼の新作ということで 学内の本屋さんではあっという間に売り切れちゃいました 一般の人からはともかくとして 知識人、文化人などと呼ばれてるインテリじじいからは 小林氏はめちゃくちゃにたたかれてます 「右翼」「保守」そんな言葉で簡単にくくられて ひとむかしまえは「大東亜戦争」なんて言葉を使っただけで すぐに「右翼」だといわれ危険人物扱いされた時期もあったそうですが 今現在、特に若者の間では「大東亜」なんて言われてもぴんとこない人のほうが多い 「右」とか「左」とか言われても 知識として知ってるだけで実体験がないから やっぱりこれもぴんとこないことが多い そういう新しい世代が台頭してきた中で 民主主義に毒されたインテリじじいの着飾った言葉なんか なにひとつ届かない時期が来ています もっとあたりまえのことを あたりまえの言葉で言わないと届かない時期に 「個よりも公のほうが大きい」 それでは当時の軍国主義と同じじゃないか いまさら何を言ってるんだ これはよく小林批判に使われる言葉ですが これはぜんぜん彼の言ってることが分かってない 彼が言ってるのは 「国や自治体が個人よりも偉くて、国には絶対服従」 そんなことじゃありません ただ「何故あたりまえの公共心をお前らは持てんのだ?」 ということです だれにでも私心があり だれにでも汚い、黒い欲望はある エゴもある ただなぜあたりまえの公共心で自分を律することができないのか これを彼は言ってるわけです 「公」=「国」だけではなく 「公」=「家庭」でもあり「学校」でもあり「地域社会」でもあるのです 「私」と「公」の線引きをきちんとできない人間は 本当の意味での人間とはいえない 極端に言えばそうとも言えます 「私」の集まりが「公」になる それが今までの戦後からの考え方でした 西洋の個人主義を単純に取り入れていたからです でも「公」のない「私」「個」なんてありえないですよね これは文中の引用になりますが へレン・ケラーはサリバンと出会うまで本物の獣のようだったといいます ところがサリバンによって言葉を知り、社会を知り、人間を知るようになって はじめて人間らしい「個」を確立したのです 「公」なき「個」 そんなものはありえない この言葉が今の少年犯罪や異常な犯罪をひもとくきっかけにもなると思うのですが 石頭のじじいが偉そうに語ってる現在じゃまだ難しいかなぁ とにかく「個と公」論、ぜひ読んでみてくださいね 高校生ぐらいなら読める内容のはずなので 大学生なら絶対読むべきです |